「ハルサガシ」

- mini novel -

春がどうやって始まるか、というのをぼくは小学校一年生の時に知った。
春は、どこかの家のポストに、透き通った緑色の鍵と秘密の地図が送られ、そしてその鍵で、どこかにある春の扉を開けることでやってくる。
これは、ぼくと由香里と、香織と譲の四人だけの秘密。

そして、今年の春が遅れている理由はただ一つ。
まだ、ぼくたちが扉を開けていないため。
鍵は誰に送られたのか。
決まっている。
由香里のところに。
いま、心の風邪とかで、家から一歩も出てこないあの女のところにあるに決まっている。

ぼくと由香里の関係を人に説明するのは難しい。
ぼくにとって一番仲の良い女の子が由香里で、由香里にとって一番仲の良い男の子がぼく。
「ああ、そういうのは、友達以上、恋人未満っていうんだよ」と圭一などはいうが、それは友達というベクトル上に恋人がある場合。
ぼくたちの関係の先にそういうもの全く見えない。

一番、適切な言葉は「茶飲み友達」だろうか。
由香里はぼくと違って頭が良いらしい。
ぼくの基準から見ればどうでいいことにだけ頭を無駄に使っているようにしか見えないのだけれども、由香里は学年次席で、ぼくは平均の下。
まあ、確かにテストの点以外の判断基準はないわけなのだから、周りの意見の方が正しいんだろうけれど。

由香里はいつもなにかを考えている。
で、ある程度その考えがまとまると、ぼくを呼び出し、ひたすら話し続ける。
例えば、協奏曲と会話の境目について。
「音楽は、音の連続体で、言葉は発音の連続体だよね。そして、音と発音は、同じ空気の振動。つまり両者に本質的な差異はないと思わない」
そう話をする由香里の前で砂糖牛乳のコーヒー割を飲みながらぼくは「ああ」「うん」「そうだね」「なるほど」の四択を繰り返す。
顔はいつもにこにこ愛想笑い。
「もちろん、その発生段階における差異はあるよ。一般的に発音というのは、動物……ああ、もう、面 倒だからここは人間だけでいいや。人間の声帯を使用して発生するし、音……ええと、これも音楽に限定。音は楽器を使って鳴らされるわけだもの」
再びぼくは四択。
話を聞きながらも考えるのは、窓の外を歩くお姉さんのお尻のラインが感動的な丸みを帯びていることと、ハムカツとメンチカツが同時に出た場合、どちらを先に食べるのが正しいのか、ということ。
「いままではこの分類で問題はないよ。でもこれから機械が発達し、人工知能が独自に言語使用能力を発達させた場合、それは言葉になるの?それとも音楽?」
四択。
「言葉はなにかを伝えるためだ、ていうけれども、音楽にだってその側面 はある。楽譜の事をいうのなら、ジャズには即興がある。ここで考えなければいけないのは……」
以後、本題の協奏曲と会話にいきつくまでに一時間ほど喋り続け、その後、二時間ほど喋り続けて、ぼくたちの茶飲みは終わる。

付き合った経験はないけれども、やっぱりこれってば、恋人云々になる前の前哨だとは思えない。

その由香里が、引きこもったのは二ヶ月前だった。
突然、「世界がわからなくなった」「考えと言葉を一致させることができなくなった」という言葉と共に、由香里は自分の部屋でヤドカリさん状態になった。
周りが慌てる中、ぼくは結構冷静だった。
どうせ、いつものように考え事につかまっただけで、今回はそれがものすごい問題だった、というだけの話。
担任にそれを説明して、ご両親に、食事と着替えをいつも用意してもらえるように頼み、最後にぼくは扉の前で、中にいる少女に向かって語りかけた。
「考えがまとまったら、茶飲みの連絡をしてね」

以後、音沙汰なし。
そして冬は終わらず、春はなかなかこない。

 

その朝、ぼくはまだ寝ていた。
時刻は、朝の五時三十分。その時間に起きられるほど、ぼくは勤勉ではない。
寝返りを打とうとした瞬間、ぼくの身体が不意に動かなくなった。
意識は目覚めるが、身体はだめ。いわゆる金縛り状態。
なんで明け方に、とどうにか視線を動かしたところに、見覚えのある顔があった。

「……由香里?」
「おっはよー、二ヶ月ぶりの復活だよ。へへっ、ちょっと今回はサービスして、朝這いモードでしてみました。どう?ドキドキした?」

由香里はぼくの上から飛びのくと、スカートを翻してくるりと一回転した。
感想を求めるような視線を送ってきたので、仕方なく答える。

「相変わらず成長しないね、胸」

次の瞬間、伝説の左がぼくを襲った。
衝撃に崩れ落ちるぼくに労わりの言葉も掛けず、由香里はあの鍵を胸元から取り出した。

「はーい、注目!春の鍵です。これがないと春が来ません。というわけで、いまからハルサガシに行きます。香織ちゃんと譲君には、八時に公園にくるように連絡しました。さ、起きて」
「ちょっと待って。いつから、ぼくの家と公園の間の所要時間が二時間半になったの?」
「やだなぁ、ボケちゃって。公園まで二時間半もかかるはずないじゃない。あたしが引きこもっている間に、若年性痴呆症が進行したの?」

皮肉というものを理解せずにそう返すと、由香里は浮かれた感じでまた一回転した。ほらほら、どう、このスカート、と自慢げに裾を掴む。
どう、と評価を求めるふりをして、賞賛を強要するそのやり方はものすごくズルイと思う。
似合っているよ、という、ぼくの心温まる社交辞令にうなずくと、由香里はカーテンを開き、全身に光を浴びた。昇っていく太陽を従えるようにして、ぼくに向き直る。

「ごめん。待たせたね。ただいま」
「遅すぎ。待たせないでよ」

そして言葉を続ける。

「おかえり。由香里」

 

- comment ?
一体、なんの話なのかというと、パソコンの古いデータを整理していたときに出てきた自作小説だったりします。
原稿用紙換算で二百枚ぐらい書いて、あまりに恥ずかしい展開になったので、自主放棄の上、封印したもの(-_-;)

そろそろ、春に向かったCGを作りたいなぁ、と思い、それと上の小説の冒頭部がうまく重なったため、今回のようなCGが出来上がりました。
久々の逆光CGだったのですが、今回、理想の形に一歩近づく出来となったのは嬉しい限り(^^) いや、

「一歩」でしかないのですけれどもね。

2005/02/27 紅茶男